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大内理加(おおうちりか)
プロフィール

山形県議会議員4期連続当選

現 在

山形県紅花生産組合連合会会長

円仁の鐘を鳴らす会会長

2020年
山形県議会議員辞職
2018年
自民党県連総務会長
2016年
自民党大会にて議長を務める
2011年

自民党県連幹事長代理

自民党県連女性局長

2007年

山形県議会議員初当選

(以降4期連続当選、過去2回はトップ当選)

この間、厚生労働環境常任委員長、文教公安常任委員長、農林水産常任委員長、総務常任委員長、景気雇用対策特別委員長、中小企業経営力強化・人材育成対策特別委員長、子ども育成・若者定着支援対策特別委員長、予算特別委員長、議会運営委員長を歴任

1986年
(株)山形テレビ報道制作局制作部勤務(番組ディレクターを務める)
同志社大学文学部 卒業
1982年
山形県立山形西高等学校 卒業(陸上部キャプテン)
1979年
山形市立第七中学校 卒業
1976年
山形市立出羽小学校 卒業
1963年
山形市生まれ
大内りか 幼少期

幼少期

とにかく泣き虫。さわられただけで泣く子でした。

中1に登校拒否になりましたが、熱心な先生のおかげで救われました。感受性の強い子供だったように思います。

しかし、一度順応すると何事にも積極的に行動する子どもでした。

祖母が手相を見て、「男の子だったら良かったのに・・・」とつぶやいた言葉が子ども心に忘れられませんでした。

大内りか 山形西高等学校陸上部キャプテン時代

山形西高等学校 陸上部
キャプテン時代

種目は400mと200m。夏の坊平での合宿はあまりにきつくて、両親がスイカをもって差し入れにきた姿を見ただけで涙がでてきたぐらいでした。陸上で根性が鍛えられたことは間違いありません。

バレンタインデーには下駄箱にチョコが・・・。ベリーショートカットの女子でした。生徒会では体育委員長をつとめました。

大内りか 同志社大学時代

同志社大学時代

「女の子は東京に出さない!」というだけの理由で京都の大学へ。お蕎麦のダシと和菓子の美味しさにカルチャーショックを受け、京都の食文化にのめりこみました。

山形を離れて、紅花の価値を再認識したのも京都での学生時代。山形を外から見る目を養いました。

ヨーロッパ8ヶ国を旅したことは忘れられない思い出です。

異国の文化を知り、多様性を認める下地になっています。

大内りか 山形テレビ勤務時代

山形テレビ勤務時代

学生時代、テレビが壊れて見れなかったのになぜかテレビ局へ入社。まさかの報道制作局へ。ADから鍛えられました。

フジテレビの全国映像コンテストで準グランプリを受賞し、社長賞もゲット。県内各地を取材したことが私の財産であり、今の仕事に活きています。

ちなみにコンテストのテーマは「挑戦」。韓国語で最上川舟唄に挑戦する船頭さんの姿を題材にさせていただきました。

大内りか 山形県議会議員1期目

山形県議会議員1期目

ポスターができてから2ヶ月で選挙戦に突入しました。

リーフレットはジーパン姿を掲載。選挙戦はスカートにロングブーツ。意外とその新鮮さが良かったのかも・・・。

公約は「政務活動費は1円から領収書を!」でした。

異例ではありますが、一年生議員にも関わらず政務活動費検討委員会のメンバーとして議論を交わし公約を実現しました。

また、医療的ケア児の支援や病児病後児保育の拡充、海外チャーター便就航拡大のための山形空港の機能強化などを提言しました。

大内りか 山形県議会議員2期目

山形県議会議員2期目

東日本大震災後、防災やエネルギー政策に取り組むと共に、横軸ルートの必要性から仙山線の機能強化や宮城県と山形県を結ぶ道路整備の推進について力を尽くしました。

また、農産物の輸出促進のため国際物流ルートの活用を提案。

山形県の文化振興のため、展示ギャラリーの建設や美術館の利活用、博物館の移転などについて県民の声を届けました。

大内りか 山形県議会議員3期目

山形県議会議員3期目

宮城・山形交流議員連盟の幹事長としてワークショップを開催し、広域連携の推進に務めました。

スクールソーシャルワーカーの活用を提言したり、県立中央病院の院内保育所設置を提言して、子どもや働く女性の支援に力を入れました。いずれも実現の運びとなりました。

また、長年提言してきた「受動喫煙防止条例」の制定も実現しました。

大内りか 山形県議会議員4期目

山形県議会議員4期目

最後となった予算特別委員会では、医療的ケアの必要な子どもたちや特別支援学校の環境整備、これからの国際戦略について質問。

3月18日、2月定例会最終日に次なるステージを目指して議員辞職。本会議場でのあいさつでは万感胸に迫るものがありました。

重い決断を決して無駄にすることなく、引き続き県民の皆様のお役に立てるよう精進することを誓いました。

私の政治の原点

大内りか 私の政治の原点

祖父・父と二代に渡って県議会議員を務めた政治家の家に生まれながら、政治への志をもっていなかった私に、突然、県議を勇退する父が私を後継に指名しました。当時、山形県議会には女性県議がたった一人。少子高齢化対策が喫緊の課題である県政にもっと女性の議員が必要だと説得されました。

私には残念ながら子供がいません。「自分の子どもを産み育てることができなかった分、議員になったら世の中の子どもたちのために役に立つことができるよ。」そう言って背中を押してくれたのは夫でした。

二人の男性から後押しを受けて県議会議員に初当選してから13年がたちますが、子どもの貧困をはじめ山形県の子どもたちを取り巻く環境は非常に厳しく、このままではいけないという強い気持ちが私を突き動かしました。

もっと豊かな山形県にしたい。子どもたちがお腹いっぱいご飯を食べて笑顔で過ごすことができる、そんな当たり前の県にしたい。それが私の願いであり政治の原点です。